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投稿

他界後の生活に備えるための地上人生

地上は修行の場です。 地上生活では難しい問題や苦労、悲しい出来事にも多く出会うことでしょう。
全てがあなたの成長のため、地上世界ならではの環境で 時に苦しみながら様々な経験を積み、愛の本質を学び 他界後の生活に備えること。
また、他界後あなたのために用意された仕事に従事するために 必要な知識や実力を身につけること。
これらが地上生活の目的です。 「死んで」他界してからが、あなたの人生の本番です。 地上に生きる今は訓練期間なのです。
今の地上での生涯こそが人生だと考え、 その期間内だけで物事を考えたり判断してはいけません。
それは、学校に通う期間こそがあなたの人生そのもので、 卒業と同時に全てが終わるのだと言っているようなものです。







最近の投稿

霊能者、霊能力について

霊能力者は、自分の霊能力は自分のためではなく、人に奉仕するために
預けられたものであることを自覚しなければならない。
特別な霊能力を持つ自分は特別な存在なのだと勘違いしてはならない。
純粋な愛(利他愛)の行為として人のため世の中のために活用することを期待され
授けられた神聖な力である。その神聖な能力を汚してはならない。

自身の霊能力に気付いた人間は、それを正しく使うことを心がけよ。
神から託された聖なる力である。
責任感を持ち、気持ちを引き締め、神の使者としての役割を
謙虚に、そして使命感を持ち誠実に使用すること。

自分の金儲けのためや、人から注目されたい、崇められたい、好かれたい等
私的、利己的な目的に用いることは許されない罪である。
現在地上には霊能力を不正に使用し、自身の欲に溺れている霊能者が非常に多い。
悲劇的な状況である。
肉体の死後、彼等が対面することになる償いと埋め合わせのことを思うと気の毒でならない。

霊能者は自分に与えられた霊能力を正しく、他人の利益のために用い
利他愛の行為に徹している限り神の法則に保護され
更なる人助けの可能性が与えられ、世界の人々の幸せに貢献できるようになる。

利他的に生きる者は、利他愛こそが真の愛、真の喜びであることを知っているので
自身の利他的な行為によって自らも幸せを体験するようになっているのだ。
霊能力を正しく人のために用いる霊能者が増えていくことを願う。







知識と情熱のギフト

「神は問題は与えても、決して悩みは与えません。罪も与えません。
もし与えているというのなら、その与えている張本人は自分自身だということを知ってください。」 p. 211『背後霊の不思議』M.H. テスター著








何年か前に、自分の誕生日に本を買ったとブログに書いたことがあったが
今年もその近辺に本を買った。
M.H. テスターの本、モーリス・バーバーネルの本を何冊か。
彼らが残してくれた言葉に触れることができ、本当に幸せに思う。
近藤千雄先生が訳された文章には毎回惚れ惚れさせられるのだが、
両著者の言葉そのものである英語の原文も読みたい。
原書と翻訳版の両方を読むことで、翻訳の素晴らしさや有り難みを真に理解し
翻訳者の情熱、苦労、使命感や覚悟を察することができる。
霊界からの支援や導き、祝福を大いに受けていることも。
そして自分もスピリチュアリズムのために尽くしていきたいと
気持ちが引き締まるのだ。





十月になりましたね。
「九月が始まった」も「九月が終わる」も言えぬまま・・
私は秋が好きです。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

癒し

チョコの写真を見て癒される、という声は以前から多く 昨日もまた頂いたので、久々にチョコやん登場。
長い間彼の写真を載せていませんでしたね。
さすがに今年の夏の厳しい暑さが辛そうですが 涼しい日や涼しい時間帯は元気です。 暑い日はエアコンの効いた部屋で寝ています。 10歳になりました。










828

カナダを去ってから、もうかなりの年月が経ったので
思い出すのも忘れてしまう年もあるのだけど、今年は思い出した。
四半世紀前の8月28日、小豆島からカナダへ渡った。
カナダへの渡航は初めてで、そのまま初対面のホストファミリーの家に行き、
数日後に14歳の誕生日を迎え、一週間後くらいには現地の学校へ通い始めたのだった。

大冒険だったなぁ、と今振り返り思う。

当時の自分は、冒険しているなど一切思っていなかったが。
新しい環境に適応していくのにただただ必死だった。

そして今振り返れば、四半世紀前に始まった”冒険旅”の本当の理由が分かる。
あの時から現在へ、一本の糸で繋がっているのが分かる。 地上界、霊界問わず大勢の人たちの愛と援助と導きによって
今日まで無事に歩んで来られたことも分かる。

以前書いたことがあるような気もするが、渡航前に父親が言ってくれた言葉。

「人と違う生き方をするということは、易しいことではないぞ。
それだけはしっかり覚悟しておけよ。」

その言葉はカナダ生活を超え、今も思い出す度勇気を与えてくれる。


振り返り感謝の祈りを捧げたら
再び前を向いてどんどん進んでいく。

8月28日は、自分の中でちょっと特別な日。















死は第二の誕生

「”生”を正しい視野で捉えていただきたい。その中で、”死”が果たしている役割を理解していただきたいと思います。人間はあまりに永いあいだ死を生の終わりと考えて、泣くこと、悲しむこと、悼むこと、嘆くことで迎えてきました。私どもはぜひとも無知――死を生の挫折、愛の終局、情愛で結ばれていた者との別れと見なす無知を取り除きたいのです。そして死とは第二の誕生であること、生の自然な過程の一つであること、人類の進化における不可欠の自然現象として神が用意したものであることを理解していただきたいのです。死ぬということは生命を失うことではなく別の生命を得ることなのです。肉体の束縛から解放されて、痛みも不自由も制約もない自由な身となって地上での善行の報いを受け、叶えられなかった望みが叶えられるより豊かな世界へ赴いた人のことを悲しむのは間違いです。
 死の関門を通過した人はカゴから放たれた小鳥のようなものです。思いも寄らなかった自由を満喫して羽ばたいて行くのです。人間が死と呼ぶところの看守によって肉体という名の監獄から出させてもらい、(原則として)それまでの肉体に宿っているが故に耐え忍ばねばならなかった不平等も不正も苦しみも面倒もない、より大きな生に向けて旅立ったのです。霊本来のかぎりない自由と崇高なよろこびを味わうことになるのです。
 苦痛と老令と疲労と憂うつとから解放された人をなぜ悲しむのでしょう。暗闇から脱して光明へと向かった人をなぜ悲しむのでしょう。霊の本来の欲求である探究心を心ゆくまで満足できることになった人をなぜ悼むのでしょう。それは間違っております。その悲しみには利己心が潜んでいます。自分が失ったものを悲しんでいるのです。自分が失ったものを自分で耐えていかねばならないこと、要するに自分を包んでくれていた愛を奪われた、その孤独の生活を嘆き悲しんでいるのです。それは間違いです。もしも霊的真理に目覚め、無知の翳みを拭い落とした目でご覧になれば、愛するその方の光り輝く姿が見えるはずです。死は決して愛する者同士を引き離すことはできません。愛はつねに愛する者を求め合うものだからです。あなた方の悲しみは無知から生じております。知識があれば愛する者が以前よりむしろ一段と身近な存在となっていることを確信できるはずです。霊的実在を悟ることから生じるよろこびを十分に味わうことができるはずです。
 皆さ…