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この夏、私は不思議な蝉に会った。




ある日の夜戸締まりに外へ出ると、頭上に白っぽい何かが居た。
それは、ふ化したての蝉だった。
大きいのでクマゼミだろう。
ふ化したばかりの蝉を見たのは、記憶の限りこれが初めてだったので
思わず近寄って観察してしまった。
『地上での暮らしは色々と大変だと思うけど、健闘を祈るよ』
私は何となく、話しかけてみた。
蝉は全く動かず、白っぽいまま抜け殻の側にぶら下がっていた。
生まれ変わった蝉は、朝日を浴びて飛び立ったのだろうか。
愛犬と朝の散歩に出かけた時には、抜け殻だけが残っていた。






一週間か10日か、それとも数日だったのか、はっきりと覚えていないのだが
しばらく経った日の夜また門を閉めるために玄関の外へ出ると
ジージーギャーギャーと派手な音と共に何かが飛んで来て、私の足元に落ちた。
ひっくり返った大きな蝉が、固まっていた。
『死んだの?』
しゃがんで左の人差し指で触ってみると、蝉は足を動かした。
ひょっとしてあの時の蝉だろうか?
きっとそうなのだろうと信じ込んだ私は、またその蝉に話しかけた。
『もうそろそろ寿命なのかな?地上の暮らしはどうだった?
子孫は残せたの?そうだといいね。 
頑張って生きたんだね。お疲れさま。』
翌朝同じ場所を見てみたが、そこに蝉の死骸は無かった。






その夜、何を思ったのか父が花火を買ってきた。






ベランダの下で、恐らく10年ぶりくらいの手持ち花火を眺めていると
また大声をあげて蝉が飛んで来て、仰向けの着地。
昨夜とまったく同じ登場の仕方だし、あの蝉に違いない!
いつの間にか1人で起き上がっていた蝉に近寄り、
人差し指で前足に触ると蝉は私の指の上に前足をチョンと乗せた。
そしてしばらくすると蝉はの右腕をノソノソと登り始めた。
肩まで登ると飛び立ち、側の網戸へ移動した。
ほんとに変わった蝉だな‥ちょっとかわいい‥
しばらく眺めていたが、蚊が鬱陶しくなってきたので家の中へ避難し
今度は内側から蝉の前に座った。
『明日の夜もまだ生きていたら、また会いに来てね』
そう言ってから、私は明かりを消した。






この夏、私は不思議な蝉に会った。
『ねぇねぇ、いつか私がそっちへ行った時には
またあの日みたいにジージーギャーギャー騒ぎながら
私の所へ飛んできてくれるかな?』

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旅立った人は、どんどん進んでいく。

気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
この世を旅立った人にとって、3年とはどんな感覚ですか?

あちらでは時間の感覚がだいぶ異なるのだと思う。
祖母は、私たちよりも10年とか20年くらいは先を行っているような気がした。
もっともっと先かもしれない。
こちらで「生きていた」ときの祖母とは、かなりの別人というか別人種というか、
言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
隣にいた父親が全く同じようなことを言ったので驚いた。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。