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オートバイ乗りの不思議な習性?「バイクと写真」







先日、トカイからやって来た伯父さん伯母さんとお昼を一緒に食べた。

その日は天気も良かったので、ふたりは待ち合わせのレストランへ向う途中に
三都半島へ寄り道ドライブをしていたら、県外ナンバーの大きなオートバイが
4、5台やって来たそうだ。

そして、ライダー達が景色を見るよりも先に、まずバイクを並べて
バイクの写真を撮る様子が面白かったと、伯母さんは話してくれた。







私もバイク乗りになっていなければ、たぶん
「へぇ〜ライダーって変な生き物!」と笑ってただろうと思う‥ 
けど、今は私もバイクに乗る人なので、彼らの気持ちも分かる気がする。



ツーリングに出かけたら撮りたくなるバイクの写真。
もちろん絶景の写真も撮りたいけど、そこまで一緒に走って連れて行ってくれた
オートバイの写真も絶対撮りたくなる!よね? 






バイクツーリングに出かけた先で愛車(バイク)の写真を撮る人と
ドライブに出かけて愛車(クルマ)の写真を撮る人。
比べてみればきっと、前者の方が多いはず!!


と勝手に予測をする私は、ひとりで走ってばっかりのソロライダー
並びにどこへ行っても写真を撮りたい写真バカだったりして。。

果たして説得力はあるのかどうか知らないが、
気にせず自信満々な根拠:なんたってオートバイはライダーの相棒ですから!




空気や風のイロイロも、道の凸凹も、時には雨も。
なにもかもを直に受ける感覚を分け合いながら走る相棒だもんね。

絶景に出会えた感動も宝だけど、その場所まで一緒に走った
愛車との思い出はもっと大切なのです。







まだオートバイに乗っていないみなさん。

道端にバイクを停めて熱心に自分のバイクの写真を撮るバイク乗り‥
不思議な光景かもしれませんが、よく観察すればそこにはきっと
ライダーと相棒との絆が見えるはずです^^



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旅立った人は、どんどん進んでいく。

気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
この世を旅立った人にとって、3年とはどんな感覚ですか?

あちらでは時間の感覚がだいぶ異なるのだと思う。
祖母は、私たちよりも10年とか20年くらいは先を行っているような気がした。
もっともっと先かもしれない。
こちらで「生きていた」ときの祖母とは、かなりの別人というか別人種というか、
言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
隣にいた父親が全く同じようなことを言ったので驚いた。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。