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雪の名木山ゲレンデ、また会う日まで






雪と霧のゲレンデ。

寒くて視界の悪い中のスキーは疲れるので頻繁な休憩とおやつが必要。


手前が塩キャラメルケーキで奥がチョコレートケーキ。
(両方味見したけど、食べようと思えば食べれてたけど、一度にケーキ2個食べたんじゃないよ!)



どちらも美味しかったけど、特にチョコケーキは
このケーキ食べれるんなら明日もまた雪でもいいやと思えた。
名木山ゲレンデの麓の喫茶店/レストランの店の名前、何だったっけ‥?
リーブレ?リーブル??




八方スキー記の最終章です。







雲の切れ目は本当にほんのつかの間だった。
カメラを連れてスロープに戻ると、さっきまでの眺めは
淡いモノクロ調に着替えた後だった。

『一瞬だけでも晴れてくれんかな』の願いは、忠実に叶ったのでした。









残念ながら本領発揮に至らなかったが愛カメラ、スキーを体験。

また一緒に滑りに行くかどうかは状況次第。
一眼レフカメラxアルペンスキーは、やっぱりちょっと厄介な組み合わせだと思った。

スキーするからには派手にこけてカメラを破損させてしまうリスクもあるし、
かと言って終始こけない様に慎重に滑るのもつまらんし。
出し入れなどにも時間がかかるから一緒に滑る仲間を待たせてしまうのも心苦しい。

それでも次回白馬の絶景を見られそうな日にゲレンデに来る事ができたなら、
私はきっと愛機を背負って滑るだろうな。

白馬八方尾根スキー場のウェブサイト: http://www.hakuba-happo.or.jp/winter-resort/





夜行バスで行くスキーの旅。
そのスケジュールは少し慌ただしく
スキーと温泉は満喫できたけれど(雪見露天最高!!)
うかつにも信州のそばを食べそびれてしまった!


白馬三山も見残してしまったし、四国からは遠いが
また行きたい理由は沢山ある。


ただし蕎麦を食べ忘れても、地酒は飲み忘れるべからず。
「白馬錦」と「大雪渓」の二酒を制覇した。


たぬさんのとっくりには「大雪渓」
飲んでから大阪へ戻るバスに乗り込んだ。





バスは予定よりも早く走り、まだ真っ暗な大阪の街へ放り出されたのは午前5時代だった。



重たくて大きなザックを背負い、寝ぼけて回らない頭のまま
ひっそりとした都会の道を歩き駅を目指した。










旅の〆は、日生のカキオコ。

私はこれを食べるために、京阪神⇔小豆島間は
日生経由のルートを最もひいきするのだ。



これで通算4軒目、4枚目のカキオコ。
日生港/日生駅近くの『オレンジハウス』にて。
美味しかった。ごちそうさま。








以上、スキー旅行記なのか飲み食い録なのか
よくわからん投稿になっちゃったね^^


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絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

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見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
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先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。



霊能者、霊能力について

霊能力者は、自分の霊能力は自分のためではなく、人に奉仕するために
預けられたものであることを自覚しなければならない。
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純粋な愛(利他愛)の行為として人のため世の中のために活用することを期待され
授けられた神聖な力である。その神聖な能力を汚してはならない。

自身の霊能力に気付いた人間は、それを正しく使うことを心がけよ。
神から託された聖なる力である。
責任感を持ち、気持ちを引き締め、神の使者としての役割を
謙虚に、そして使命感を持ち誠実に使用すること。

自分の金儲けのためや、人から注目されたい、崇められたい、好かれたい等
私的、利己的な目的に用いることは許されない罪である。
現在地上には霊能力を不正に使用し、自身の欲に溺れている霊能者が非常に多い。
悲劇的な状況である。
肉体の死後、彼等が対面することになる償いと埋め合わせのことを思うと気の毒でならない。

霊能者は自分に与えられた霊能力を正しく、他人の利益のために用い
利他愛の行為に徹している限り神の法則に保護され
更なる人助けの可能性が与えられ、世界の人々の幸せに貢献できるようになる。

利他的に生きる者は、利他愛こそが真の愛、真の喜びであることを知っているので
自身の利他的な行為によって自らも幸せを体験するようになっているのだ。
霊能力を正しく人のために用いる霊能者が増えていくことを願う。