スキップしてメイン コンテンツに移動

さて、4月。



すももの花が満開。




江戸彼岸桜も満開。




一ヶ月前に痛めた足は、走りさえしなければもう大丈夫みたい。
両膝にサポーターを巻いてガンガンスキーも平気だった!
(スキー便りは、またそのうちに!)

でも困った事に、まだあんまり走れない。
走り始めてほんの1 〜1.5kmくらいの距離で
膝や足首が思い出したように文句を漏らし始めるんだよね。
それを無視していると、足の付け根や腰まで何か言いたそうにするし。

10kmレースの出場を申し込んだオリーブマラソン大会まで
あと7週間なのに、どうしたものか。
2年目の今年は絶対去年のタイムを超えてやるぞ!
なんて息巻いてたのにな‥










無茶をしたら後が大変な年齢になったのだと
ようやく理解しつつあるこの頃。
無理せず焦らず様子を見てみようと思う。


足が痛くても愛犬との毎日の散歩をさぼる事はできないし
暖かくなったら登りたい山もあるから、まずはしっかり足を治すのが優先だ。
以前の様に走れなくても不自由無く過ごせる日々に感謝しながらね。



実は花には全く興味の無い犬との花見散歩も、なかなか楽しい。

『イヤや、チョコやん。私そっち行きたくないねん!』





マラソン大会の事や痛めた足の話を聞いてもらいながら、
髪も短くしてもらってすっきりした。


髪の毛は良いタイムが出る様にばっちり調整しておいたので
後は足をしっかり治して頑張ってね、と美容師さん‥(笑)



バイクのロードサービスにも加入したし
昨年のツーリング道中に壊れたツーリングバッグ用の鍵や
欲しかったちょっと大きめのウエストバッグ
(ヒップバッグって言うのかな?)も揃えた。


ジョギングシューズを履いて地面を走る事が難しいなら
こっちの方の走る準備をするしかないな〜という事で^^


こんな感じで4月が始まった。

コメント

このブログの人気の投稿

旅立った人は、どんどん進んでいく。

気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
この世を旅立った人にとって、3年とはどんな感覚ですか?

あちらでは時間の感覚がだいぶ異なるのだと思う。
祖母は、私たちよりも10年とか20年くらいは先を行っているような気がした。
もっともっと先かもしれない。
こちらで「生きていた」ときの祖母とは、かなりの別人というか別人種というか、
言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
隣にいた父親が全く同じようなことを言ったので驚いた。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。