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よし、行くぞ。







旅立つ2日前に、例の「木のキャリー」を取り付けてもらい
前日には空っぽのツーリングバッグを持ち出して積載の予行演習をした。





Rough&Roadの大きなバッグをトリッカーに取り付け
相棒と2人きりで出発するのは9ヶ月か10ヶ月ぶりくらいか。




小さくてフックの数も少ないトリッカーさんの純正リアキャリーに
RR6000サイズ(50~65L)のバッグは明らかにオーバーサイズなので
「木のキャリー」でグレードアップした後でも
この大きなバッグの取り付けは一筋縄ではいかない。







抱えてきた籠の中には、バッグ取り付け用の色んな紐やバックルや
輪っかやフックなどが沢山詰め込まれている。







使うのは、確かこれとこれとこれだったよね‥?
あれ?何処へひっかけるんだっけ‥?
何かおかしいんじゃ‥?





パズルを組み合わせるように、あーでもないこうでもないとやっているうちに
自分が少しずつ『旅人モード』に切り替わってくるのを感じる。




久々の一人旅への不安や取り越し苦労が流れていき
『出てみればどうにかなる』的な思考が全身に染み渡ってくる。





おいおい、ほんまにこんなんで大丈夫かな?





そんな状態でも、いざ走り出せば大抵のことはなんとかなってしまうし
それがバイクツーリングの不思議そして魅力なのだと再確認して
1人うなずく。





小さなバイクには大きすぎる荷物を強引に載せて
方向音痴の初心者が跨がって旅に出る!



なかなか面白い事をやろうとしている自分が愉快に思えて
やる気と自信が湧いてくる。






もう30年を超える付き合いの中で
様々な顔や心を持つ自分自身と対面してきたけど
今まで出会った中で一番好きな私が戻ってきた。


道に迷ったら、探している道が見つかるまで迷い続ければいい。
こけたら、起き上がれ。

そして再び走り続けよう。



よし、行くぞ。












(出発の日、小豆島→高松の船の中で綴った文章をもとに)






こちらは、予行演習に渋々付き合い中、かなり不機嫌な彼。

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旅立った人は、どんどん進んでいく。

気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
この世を旅立った人にとって、3年とはどんな感覚ですか?

あちらでは時間の感覚がだいぶ異なるのだと思う。
祖母は、私たちよりも10年とか20年くらいは先を行っているような気がした。
もっともっと先かもしれない。
こちらで「生きていた」ときの祖母とは、かなりの別人というか別人種というか、
言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
隣にいた父親が全く同じようなことを言ったので驚いた。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。