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根拠無き自信をくれた靴


先日の大会で、無事に10キロを走れた最大の理由は靴にある。
色々あって私は仕方なく、2年数ヶ月も履き倒した古いシューズで
レースに参加することにしていた。






ところが大会前日の土曜日に、私は突然新しい相棒に出会った。



GT-2150 


土曜日の午後に坂手港へゼッケンと参加賞を貰いに行った時
ランニング用品の出店があったので、膝に貼るテーピングは置いてるだろうかと見ていたら
奥の方にあの古いシューズにそっくりな靴が特価で売り出されていたのだ。




店のお兄さんに相談して、この靴が自分の走るスタイルに適している事を確認してから
試し履きをした数分後、私はその赤と白のシューズと、膝のテーピングと
サービスして貰った栄養補給ゼリーが入った袋を提げて歩いていた。
島に専門店が無いと困っていたら、島に専門店がやってきてくれた!
これは絶対買うしかなかったんだよ‥ 
頭の中で衝動買いの言い訳を色々考えながら(笑

家に帰り古いシューズと新しいのとを比べてみた。







まず、古い方のソールの擦り減り具合に唖然‥!




新しいのと古いのが同じGTというモデルなのかどうか確かめたかったが
文字やロゴマークみたいなのも擦り減ったり消えかけたりしていてよく見えない‥
(後で何とか記号を見つけ、GT-2140らしい)

そうしているうちに、今日買った靴でいきなり明日の10kmに出るのは
さすがに無謀過ぎるだろうという考えが揺らいできた。







この新しいので行くしかないのかもしれない!


夕方の犬散歩に新しいシューズを履いて行き、30〜40分歩いてみたところ
特に違和感は感じなかった。
(大会前日は走らないと決めていたので、走らず)



『大丈夫だ。きっと何とかなる』
どこからか、根拠の無い自信が湧いてきた。







まだ少し残る不安を抑えつつ、私はその根拠無き自信に従ってみることにした。







膝を痛めてしまったあの3月5日の9kmランを除き、今年の春は最長でも6kmしか走れていない私にとって
走りきれるかどうか分からない10kmの距離を初めて下ろすシューズで挑む事には、それなりに勇気が必要だった。)












そして雨スタートの10キロレースが、新しい相棒と私との記念すべき初走りになった。

頼もしい相棒は、私をゴールまで走り続けさせてくれた。

最後の1kmは思い切り地面を蹴って、全力で。


最高の気分だった。



バンクーバーで出会い、色んな場所を旅して歩いたり走ったりした
思い出のシューズは晴れて隠居の身に




本当にお疲れさま。
ここまで私を連れてきてくれて、ありがとう!










こちらは今年一月に買ったシューズ。
残念ながら足に合わないのか、あまり走れなかった 。
(1個人の足の感想です)
ウォーキングでは何も問題無く快適なので、愛犬との散歩時に履いている。






それにしても、ランニングシューズとかトレッキングブーツとか、
アクティブ系な靴ばかりが増えていって下駄箱を占領している!

私も一応は女だから、たまには可愛い女子靴も履きたいんだけどねぇ‥







あれからジョギングはまだ一回だけ。

雨が止んだら、また走りに行こう。

赤と白の靴ひもをしっかり結んで。

楽しみ。


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旅立った人は、どんどん進んでいく。

気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
この世を旅立った人にとって、3年とはどんな感覚ですか?

あちらでは時間の感覚がだいぶ異なるのだと思う。
祖母は、私たちよりも10年とか20年くらいは先を行っているような気がした。
もっともっと先かもしれない。
こちらで「生きていた」ときの祖母とは、かなりの別人というか別人種というか、
言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
隣にいた父親が全く同じようなことを言ったので驚いた。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。