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親父論と親父お気に入りの写真

昨年12月頃に撮った、親父お気に入りの写真がある。
その一枚には、庭で愛車のシェルパに跨がり前に愛犬を乗せ
ご機嫌そうな父が写っている。
愛犬のチョコも珍しく凛々しいカメラ目線。

「この写真どう?」

見せると父はとても嬉しそうな顔をして
「これワシの最後の写真にしたらえいと思うわ」
(要するに、「遺影」ね‥) と言った。
写真の中の親父は恐らく10年くらい愛用し続けている
ユニクロの緑色のフリースを着て、履物はスリッパ。
自分で自分の遺影の話をするのも、いかにも父らしい。


思い残す事もこれ以上欲しい物も、特にこれと言って無いし
もういつ死んでも後悔は無い。
死ぬ事に対して何の恐怖心も持ってないし
死んだ後の世界が楽しみなんや。

時々聞かされるこの親父論は、いつも穏やかに
そして少し楽しそうに語られる。

若い頃から興味のある事やりたい事は出来る限り実行探究し
死んだら終わりとか、死ぬのは悲しい苦しいなどの概念を
信じぬ彼だからこその理論なのだろう。




父がそう言うのだから、彼がこの世を旅立つ日が来た時
私自身も後悔の無いように現在の日々を過ごしたいと
改めて思った2011年父の日。






こちらは、私的にお気に入りの親父写真。


「耕耘機ファッションで息子の愛車に跨がるおやじ」



そして、日帰り旅行で高知へ行ってきた父のお土産。
私の(いえ、私たち兄弟の)酒飲みは遺伝なのです。





ありがとう、どれも美味しかった!


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絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

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霊能者、霊能力について

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私的、利己的な目的に用いることは許されない罪である。
現在地上には霊能力を不正に使用し、自身の欲に溺れている霊能者が非常に多い。
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霊能者は自分に与えられた霊能力を正しく、他人の利益のために用い
利他愛の行為に徹している限り神の法則に保護され
更なる人助けの可能性が与えられ、世界の人々の幸せに貢献できるようになる。

利他的に生きる者は、利他愛こそが真の愛、真の喜びであることを知っているので
自身の利他的な行為によって自らも幸せを体験するようになっているのだ。
霊能力を正しく人のために用いる霊能者が増えていくことを願う。