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芸術祭観賞、坂手港周辺





小豆島町坂手地区の話題の作品を見てきました。





ビートたけしさん、ヤノベケンジさんの作品
『ANGER from the Bottom』

1時間に一度、井戸から現れて
がお〜と口から水を吐き出す怪獣。





面白いことは面白いけど
芸術品というよりは
遊園地とかお化け屋敷などのイメージかもね。

何を表現していると感じたかと聞かれると
男子校的な遊び心、というところか。






側には小さな神社がありました。











港にあるもうひとつの作品。





スパイクを付けたボールの上に怪獣が乗っかって
回転している。


ヤノベケンジさん、『ザ スター アンガー』という作品名。











「怒り」の2作品とも、島のゆるやかな空気やのどかな風景に
素晴らしくミスマッチしていると思うが
彼らは普段島内では感じることの無い
明るく新しい活気を連れてきてくれた。

それはこの島の住民として、とても嬉しく思う。






「ようこそ、小豆島へ」の建物の壁にも
強そうな怪獣が沢山描かれています。

コメント

Toshi さんのコメント…
小豆島に怪獣ってあわないよーと思いながら
小学生の時にはじめて小豆島に行ったときのことを思い出しました
岡山を出航したフェリーが小豆島にちかづくにつれ、私はワクワクしはじめました、
なんじゃあのゴツゴツしたて山のある島は きーーっとゴジラみたいな怪獣がいるに違いないと思いました
しかし島にはゴジラはおらず 優しい人たちと美しい風景がたくさんありました。
また近いうちに 遊びに行こうっと(笑)
Miya さんの投稿…
あれ、ゴジラおらんかったですかー?
わたしは見かけたことがありますよ(←ウソです(笑))

島の山並みから、わたしは緩やかで穏やかな印象を受けます。
たとえゴツゴツしていても、トゲトゲしさを感じさせられません。
この島は癒し系の島だと信じ込んでいるからでしょうか。


ぜひまた遊びにきてくださいね。
フレンドリーな怪獣を探しに行きましょう〜^^

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気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






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絶対に許してはならないこと

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シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
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愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
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先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。