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針修業マスターへの道のり


病院へ行ってきました。

本日のメニューは
早起きして薬を飲まずに病院へ行き
血を採られたら薬を飲んで、終了。



薬の血中濃度測定の結果が出るのに一日かかるため
しばらくの間、採血と受診を別の日に行う
2往復で1セットの通院になる。



検査結果も見ずドクターにも会えず
処方箋ももらわず
何だか病院へ行ったような気がしなかったわぁ。


まあでも、早く用事が済むのはありがたい
午前中出航の船でさっさと帰ろうと思っていたら
高松港周辺の濃霧で停船勧告が発令されて
2時間近く港で足止めになった。

まだまだ、急ぎたくてもそうさせてもらえないようです(笑)


今日の採血で針修業また1ランクアップ。

入院中に、血を抜かれる様子を観察できるようになったと
嬉しげに報告しましたが
針を刺されるところを見る勇気はまだでした。

今日は初めて一部始終を観察してみた。

感想は「な〜んだ、たったこれだけのことかぁ」だった。


しかも、見ている方が全然恐くないと思った。

上手なお姉さんがやってくれたこともあるのかな。

わたしは何ちゃないことを怖がっていたことが分かりました。















コメント

Toshi さんのコメント…
こどもの頃から注射大好きな変な子でした(笑)
いっつも刺されるところを見てました

昨日は鍼灸治療に行って ずいぶんたくさん刺されましたが背面側だったために見ることができず不完全燃焼気味です
Miya さんの投稿…
わー!上には上がいる!!

恐れ入りました、師匠〜(笑)

ぴとみ さんのコメント…
ここのところ機会がないので何年も前のことですが、献血のときの針は、青竹をスパっと割ったような斜めの切り口に、穴がくっきりと見えました。針の中を血が通るわけですから、なるほどなぁパイプ状なんだなぁ、と妙に感心したおぼえがありますが、当時より近くや細かいものが見えなくなっているので、残念ながら見えないかもしれません(笑)

上手にさしてもらえるとありがたいですねー
Miya さんの投稿…
青竹を割ったような切り口とは素敵な表現ですね!!
気に入りました(笑)
採血用の針は、ある程度の太さがありますよね。
針の根元には蝶の羽みたいなアタッチメントがついています。
刺し過ぎ防止のためでしょうか?
しかし、このようなシーンでは視力があまり良くない方が
あれこれはっきり見えすぎず気楽なのかもしれませんね(笑)

看護師さんが教えてくれ、自分も納得しましたが
刺し手と血管にも相性があるんですね。
点滴針刺しなどでも基本的に、2回刺してダメならば
他の人にバトンタッチしてもらうルールになっているようで
3人目のチャレンジャーでやっと針がちゃんと入ってくれた
エピソードも何度か経験しました。
片腕に針を刺されていなければ拍手と万歳をしたいところでした。






ぴとみ さんのコメント…
割ったではなくて切ったが適切でした。割ったようにささくれていたらつらいですよねー
Miya さんの投稿…
ぎゃ〜ほんとだ!!
ささくれた針には会いたくないですね〜

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旅立った人は、どんどん進んでいく。

気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
この世を旅立った人にとって、3年とはどんな感覚ですか?

あちらでは時間の感覚がだいぶ異なるのだと思う。
祖母は、私たちよりも10年とか20年くらいは先を行っているような気がした。
もっともっと先かもしれない。
こちらで「生きていた」ときの祖母とは、かなりの別人というか別人種というか、
言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
隣にいた父親が全く同じようなことを言ったので驚いた。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。