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美味しいが繋がる広がる






兄貴から頂いたスイカがとても美味しくて、しかも大きいので
友人のところへ少しお裾分けに持っていくと
お返しにまた美味しいものをいただいた。







スイカは無農薬の島レモンと巨大なキュウリに変身(ヘチマじゃないよ!)。

農作物の物々交換チックなお裾分け文化、田舎ではよくあることだが
何だか貰いに行ったような気がしてきて申し訳ないやら嬉しいやら。
ありがと〜

キュウリはこんなに大きくなっていても漬け物、和え物、炒め物など
とても美味しく食べられるのよぉ。


気取らないお裾分けが飛び交い
店には売っていない美味しい旬のものをいただける。

田舎暮らしの豊かさ、魅力。







(キューリもレモンも、自分にはあまり関係のないことを悟っている愛犬)








美味しいの輪が広がるのは、とても素晴らしく嬉しいことなので
もらった島レモンはジャムに変身させた。


ハーブで遊んでみたくなり、レモンバーベナとスペアミント
アップルミントの香りを加えて仕上げてみた。




これで何かおいしいものを作って
美味しいの輪を繋げ広げていきたいな。











コメント

匿名 さんのコメント…
出た出た、巨大キュウリ!島は作物が大きく育つのかな(?o?)
島レモンジャムが残ってる内に、もう1回今度はパンを食べに行かなキャ~ッ!
等と言いながら、急に明日から2泊3日の香川出張になったので荷造り中にお邪魔しましたm(__)m
Miya さんの投稿…
香川へお帰りなさ〜い。
相変わらずハードスケジュールでお疲れさまです。
しかし週末を含む出張でないと、島へ来れないじゃないですか!
パンのリベンジをしたいので次回は日程の調整をお願いしますよー

作物を植えっぱなしで、実が巨大化していても収穫せず放置されている畑を
近所でもちらほら見かけます。
みんな手が回らないのかなぁ?勿体な〜い。


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気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
この世を旅立った人にとって、3年とはどんな感覚ですか?

あちらでは時間の感覚がだいぶ異なるのだと思う。
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もっともっと先かもしれない。
こちらで「生きていた」ときの祖母とは、かなりの別人というか別人種というか、
言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
隣にいた父親が全く同じようなことを言ったので驚いた。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。