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ただいま





7月21日。

本当に久しぶりにエンジンをかけてみた。

涼しい朝夕の時間帯はチョコやんの散歩や畑仕事が忙しいし
日中は活動しすぎると夕方から夜にかけて頭痛や吐き気が起きることが多く
なかなかバイクまでたどり着けないので、エンジンだけでもかけておくつもりで。

懐かしいはずの相棒の鼓動と共にわたしを包み込んだのは
喜びではなく半信半疑な心と恐怖感だった。


ライダーである自分が戻ってこなかった。



果たして自分はまたこのバイクに跨がって走ることができるのだろうか?


聴覚や嗅覚はトリッカーのエンジン音や排気臭を「快」と認識したものの
バイクに乗った自分は何処か遠い夢の世界へ行ってしまっていて
楽しく安全に駆ける自信が喪失し恐怖心がわきあがってきた。





あ、、これはあかんわ。。

あんたは今から強制的にそのバイクに乗りなさいと自分に命令した。

ヘルメットに積もっていた埃を拭き払い、少し苦労してバイク用のブーツを探し
神棚と仏壇の前で手を合わせてからわたしは10ヶ月ぶりにトリッカーに跨がって走り出した。













やはり、恐いと感じることには堂々と真正面から当たって取り組んでみるのが
ベストだなと思った。
あれこれ言い訳をかき集めて逃げ腰になる残念な女をすぐに追い出せてよかった。





コメント

匿名 さんのコメント…
8月を目前にアクティブな妹が帰って来たぞぉ~っ!来週は少し近くから応援してるぞ!
toshi kondo さんの投稿…
おかえりライダーワールドへ、
バイクって自動車と違って 乗らないとだんだん機嫌が悪くなりますよね(>_<)
ちょっとずつ距離を延ばしてあげましょう

といっても、一周しても約110キロの小豆島
まずは、体力つけて南風台まで
匿名 さんのコメント…
おう乗ったか!
走ると気分いいだろう。
今日はスタンリーパークのプロスペクトポイントまで
サイクリングしたぞ。とても気持ちが良かった。
株損
Miya さんの投稿…
ありがとうございます!
バイクはやっぱり楽しかったです。

優先順位の札がなかなかバイクまでまわってこないこの頃ですが
ちょっとがんばって時間をつくってやりたくなりました。
Miya さんの投稿…
ただいま〜
バイクに乗らないと感じられない風を思い出せて嬉しかったです。

これまで私に代わってちょい乗りしたりエンジンをかけてくれていた父上が
脱猛暑に飛んで行ってしまったので、今回は仕方なく恐る恐るエンジンをかけてみた結果でした。
シェルパ兄さんは、バッテリーを外して夏眠中です。

日々の散歩や農作業で筋力はかなり復活していますが
日差しや熱気がダメなんですよね〜
身体に優しくない環境での恒常性維持機能があまり上手くいっていないような感じがします。
時間と天気と身体の声を聴きながら、ぼちぼち乗っていきたいと思います。
目指すぞ南風台。

Miya さんの投稿…
おう!乗ったぞ!快適やった。
自転車でスタンレーパークに行ったん?
すごい、どんどん行動範囲を広げているね!
写真を楽しみにしています。
夏のバンクーバーいいなぁ。
わたしもいつかまた、あの街の景色を見ながら歩いたり走ったりしたいな。

ぴとみ さんのコメント…
ライディングに関しては百人のライダーに百通りの考えがあることと思いますが、怖さを感じることはいいことで、感じないほうがほんとうは怖いんじゃないだろうか、とわたしは常々思っています。

また沢山走ることのできる時がきたら、きっと嬉しいでしょうね。以前の一歩の半分の半歩ずつでOK、そしてバック可。がんばりすぎないよう、がんばらないことをがんばって。
Miya さんの投稿…
「怖さを感じないほうがほんとうは怖い」とは、何て素晴らしい考え方でしょう。
そして、その怖さをどう利用してどのように生かすか。
ありがとうございます。

今回バイクで走り出せたことは、ちいさなちいさな一歩ですが
同時に自分の中に存在していた壁をひとつ打ち壊す行為でもありました。
壁の対処方法には何通りかあり、壊したり砕いたりする方法の場合
上手くいった後に決まって涙がこぼれるんですよね〜
でもヘルメットの顎から入ってきた風が、すぐに涙を乾かしてくれました。


がんばりすぎないようにがんばることは未だにあまり得意ではありませんが
以前よりは慣れてきたように感じています。






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旅立った人は、どんどん進んでいく。

気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
この世を旅立った人にとって、3年とはどんな感覚ですか?

あちらでは時間の感覚がだいぶ異なるのだと思う。
祖母は、私たちよりも10年とか20年くらいは先を行っているような気がした。
もっともっと先かもしれない。
こちらで「生きていた」ときの祖母とは、かなりの別人というか別人種というか、
言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
隣にいた父親が全く同じようなことを言ったので驚いた。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。