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表のジャングル



実はこれらのジャングルの写真は、うちの表の畑です。



先日の更新に、『畑の管理』などと大きなことを書きましたが
わたしたちの行う『管理』とは、
作物たちが雑草に負けてしまわないように
最低限度の手を加えることを示します。


しかしこのジャングル畑が、夏野菜の恵みを沢山与えてくれるのだ。
おかがで我が家では店で野菜を買う必要がほとんどない。


わたしは見慣れているので何処に誰が居るのか分かるけれど
それでもこうやって写真を撮って眺めてみると
はっきり言ってただの荒れ地のように見えてしまう。

もはや綺麗に除草することは不可能なので
わたしは開き直っている。
草も生えないし虫も寄り付かない畑で育った野菜を
あなたは食べたいですか?と(笑)









昨日畑に居ると、近所のばあちゃんが通りかかり
近くで蛇に噛まれた人がおるから気をつけなさいよと教えてくれた。
「しましまへび」は逃げるけど「ハメ」は逃げんのだそうです。
ハメは、たぶんマムシのことだったっけ?

先日家の庭にも蛇が隠れていたの。
雑草ジャングルの中にも絶対色んなのが住んでるに違いない。

畑へ出るための武装がますます大掛かりになっていく。




手前オクラ、奥かぼちゃ、奥の奥にフダンソウや小松菜、辺り一面 雑草。



一番勢いの良いかぼちゃは、沢山花を咲かせているので
毎朝チェックして雌花が開花していれば受粉を行っている。



3つか4つ、実が成長中。

ところで、この一番勢いの良い「かぼちゃ」、実は何のかぼちゃなのか不明です。
恐らくかぼちゃであることは間違いないと思うのだが‥

金柑の木の側に、かぼちゃっぽい苗が発生していたのを母が見つけたのを
ひょうたん南京の苗を一緒に植え付けてみたら、他の誰よりも勢い良く成長した。
「かぼちゃX」と呼ぶことにします。

かぼちゃX、一体どんな実になるのだろうか。
美味しく食べられる実になるのか?
楽しみです。









ズッキーニは大きな葉がまっ白になってしまっていた。
うどん粉病らしい。
被害の大きい葉っぱを大胆に刈り取り
酢や唐辛子のスプレーを散布してみた。




剪定されたハーブや木の枝や除草された雑草などがどっさり。
この山の処理もそのうちに行わないといけません。

どうやるのかって?

燃やすんです。

わたしはまだやったことないけど、燃やすんです。

がんばります。



コメント

匿名 さんのコメント…
畑立派だね!
夏の太陽を浴びて、いろんな緑の方々がぐんぐん大きくなってるんだね。 収穫が楽しみやな! 
こっちはヒマワリが蕾をふくらませてきたよ。
ジイさん、ベイビー、マミーともども元気にしてるよ。
そっちも無理しないでね。
むさし
Miya さんの投稿…
ひまわりは、今年もむーちゃんのお墓だった場所に育っているのかな?
むーちゃんのひまわりだね。
今年もきれいに咲かせてあげて!

こちらは、昨年「首つりひまわり」がいた場所には
バジルとセージとタイムが植えられました。
ひまわりたちが凄まじい数の虫に寄生されたのを思い出し
虫に人気のなさそうなハーブを選びました。


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旅立った人は、どんどん進んでいく。

気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
この世を旅立った人にとって、3年とはどんな感覚ですか?

あちらでは時間の感覚がだいぶ異なるのだと思う。
祖母は、私たちよりも10年とか20年くらいは先を行っているような気がした。
もっともっと先かもしれない。
こちらで「生きていた」ときの祖母とは、かなりの別人というか別人種というか、
言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
隣にいた父親が全く同じようなことを言ったので驚いた。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。