スキップしてメイン コンテンツに移動

最初はネコを探していました。

キアちゃんみたいにふわふわで大きなネコがいいなぁと思っていました。




が、一生懸命探して奇跡的に見つかり
やってきたのは小さな茶色と白の犬でした。

今から6年前のこと。


 



初めて一緒に家へ帰る車の中
新しい子犬を胸に抱いてその小さな温もりに感動していると
『やっと会えたね』という声が聴こえてきた。






ちょこちょこと歩く姿が可愛いので『チョコ』と名付けた。


最初から夜は自分のクレートでひとりで寝れるお利口さんだった。
人間と一緒に寝るようになったのは2歳になって日本へ引っ越してきて、
父母に溺愛されてから。










自分のおもちゃを破壊する技はプロ級だが
家具や靴や、その他人間の持ち物にいたずらしたり壊したりはほとんどなかった。

これは地球の反対側へ飛んできてからも変わらないから
本当にありがたく、助かっている。

(ただし松かさはあらゆる手段を使って探し出し盗み出し破壊する。例えばこのように






皮膚炎を起こして手足やお尻の毛が禿げて赤くなってしまったので
『ちょこざる』というニックネームをつけていたこともあったなぁ。










生後6ヶ月頃、お母さん、兄弟と再会。
獣医師の資格も持つブリーダーさんはとても暖かくて良心的で
しかも英語も堪能で、沢山支えてもらった。





暮らした街は、小型犬を連れてのんびり外を歩けるような環境ではなく
散歩の代わりに毎日タイルの庭でボールを投げて遊ばせた。

だから、チョコは今でもボール遊びの達人。




順調に大きくなり、たまにきれいな公園へ
お散歩にも連れて行ってあげられるようになった。











1月の空、南半球は夏。

ブラジルと言っても、南部は冬になれば結構寒いんですよ。











本当は今回、サンパウロから小豆島への旅について
書きたいと思っていたのだが
その辺りの写真のデータCDが現在ごっそり行方不明中。。




なので、サンパウロ郊外の公園から小豆島の桜公園へ一気に飛びます。





今年の桜の季節に撮った
ブログに掲載する機会を逃してしまった写真たち。







 




キャバリアのチョコが
わたしの歩む道へやってきてくれてから6年が経った。






出会って6年目の日は、台風が通り過ぎた後の雲ひとつない青空で
彼はめずらしくご機嫌な笑顔で一緒に写真に収まってくれた。





可愛いとか綺麗とか賢いとか、様々な暖かい言葉を沢山の人たちから
ポルトガル語と英語と日本語の3カ国語の笑顔で浴びせてもらいながら、チョコは生きてきた。
その6年間が、彼の笑顔と陽気な性格の源だ。

キャバリアのチョコとは、
沢山の愛や暖かな心が集まって形になったものだ。


そして、その陽気な毛むくじゃらの愛に支えられ見守られて生きているのがわたし。



感謝をしないといけない人たちが多過ぎてどうしようかと困ってしまう。


今後も出かけた先で出会う人たち、家に来てくれる人たちや
写真を見てくれる人たちに小さな癒しや笑いや愛を振りまいていけるように

これからもこの犬の素晴らしさをさらに引き出してあげられるような
接し方を続けていければと思う。

自分にできる恩返しは、それくらいだろうから。






先日、坂道をガンガン歩く散歩コースの後半に
チョコがややバテ気味だったので
しばらく抱っこをして歩いた。

チョコやん。もしいつかあなたが歩けなくなる日がやって来たならば
そのときは、こうやって抱っこでお散歩に行こうね。

あなたが今までずっとわたしを守ってきてくれたように
わたしもずっとずっとあなたのことを守って大事大事にするからね。


かっこつけてそんな風に愛犬に語りかけてみたものの
まだまだ愛犬に支えられる方が圧倒的に多い日々が続きそうだ。



とは言え、お互いに残された時間の長さや短さは誰にも分からない。
いつ何があったとしても大きな後悔のないように
共にこの星の大地で生きられる時間を貴重な宝物として
日々を過ごしたいと改めて思った。


気がつくと、いつものようにおしっこをひりかけて黄色くなった愛犬の前足が
下ろしたてのカナダ土産のTシャツの袖にしっかりとべったりと乗せられていた。



コメント

このブログの人気の投稿

絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。



霊能者、霊能力について

霊能力者は、自分の霊能力は自分のためではなく、人に奉仕するために
預けられたものであることを自覚しなければならない。
特別な霊能力を持つ自分は特別な存在なのだと勘違いしてはならない。
純粋な愛(利他愛)の行為として人のため世の中のために活用することを期待され
授けられた神聖な力である。その神聖な能力を汚してはならない。

自身の霊能力に気付いた人間は、それを正しく使うことを心がけよ。
神から託された聖なる力である。
責任感を持ち、気持ちを引き締め、神の使者としての役割を
謙虚に、そして使命感を持ち誠実に使用すること。

自分の金儲けのためや、人から注目されたい、崇められたい、好かれたい等
私的、利己的な目的に用いることは許されない罪である。
現在地上には霊能力を不正に使用し、自身の欲に溺れている霊能者が非常に多い。
悲劇的な状況である。
肉体の死後、彼等が対面することになる償いと埋め合わせのことを思うと気の毒でならない。

霊能者は自分に与えられた霊能力を正しく、他人の利益のために用い
利他愛の行為に徹している限り神の法則に保護され
更なる人助けの可能性が与えられ、世界の人々の幸せに貢献できるようになる。

利他的に生きる者は、利他愛こそが真の愛、真の喜びであることを知っているので
自身の利他的な行為によって自らも幸せを体験するようになっているのだ。
霊能力を正しく人のために用いる霊能者が増えていくことを願う。