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梅プロジェクト、ついに結実。

美しいとは言い難い形ながら、幸い味や香りや食感は
私たちの好みそのものだった。






今年は家の梅の樹が豊作で
母が沢山ジャムを作ってくれた。
梅シロップも作った。

一部、酵母起こしに使っているガラス容器に仕込んだ梅シロップを
発酵させ続けたものでパン種を作り、パンを焼いた。

シロップを仕込んだのが6月30日で
最初のパンが焼けたのが9月4日の朝。

最初に試みたパン種が全く発酵しなかったり
色々あって、プロジェクトが実を結ぶまで2ヶ月かかった。








「いくらでも食べれるわ〜」(しかも何もつけずにそのままで)


その特別なパンは、母から久々に嬉しい言葉も獲得した。

チョコやんもえらく気に入ってくれた。

そうなのだ、わたしが目指しているパンは
そのままで美味しいと言ってもらえる
シンプルな食事パンなのだ。



安心して愛犬にも試食させられるパンなのだ。






ドライフルーツや木の実、バターなどを加えると
もっと美味しく面白いパンができるのは分かっているが
「これら私はあまり食べない方が良いもの」というマイナスの雑念が
生地に反映されてしまいそうなので躊躇している。


だからわたしはこれからも、
特別でも何でも無いシンプルでプレーンなパンを
主にご飯を休む朝の家族の主食として
作り続けていこうと思う。


材料のリストには書かないが生地を捏ねるとき
わたしは必ずいくつかの願いや想いを込めながら捏ねる。

ひとつは、粉や酵母や、パンを作れる環境や体調への感謝の気持ち。
もうひとつは、食べてくれる人に笑顔や元気をもたらす
パンになりますようにとの祈り。


食べてくれる人の身体の内側まで作り手の想いを届けてくれるパン。
それがわたしのパン作りの土台にある目標だ。






近頃は、朝捏ねた生地が夕方頃に一次発酵を完了して(約8時間)
夕食の片付けが終わったころや、お風呂を上がって寝る前くらいに
二次発酵が程よい具合になるパターンが多い。


(二次発酵開始頃)



翌朝の朝食に焼きたてを食べたいので
夜の間は冷蔵庫に入っていてもらうのだが、
翌日の早朝、冷蔵庫から取り出すと
下の写真のように発酵し過ぎて生地が炸裂していることがほとんど。





味に問題は無いのだが、見た目がとても残念。
次回は、二次発酵の過程を冷蔵庫で行うのを試してみることにする。


コメント

ぴとみ さんのコメント…
一次発酵が終わった生地を丸めてきっちりラップして低温保管、そして翌朝早起きをして成形・二次発酵させ、焼きたてを朝食に・・・・という方法もありますよ。生地の待たせ方はつくり手が決めていいんです。魔法使いならぬ酵母使いになれる日まで、たくさん焼いてください。
Miya さんの投稿…
「誰かいいアイデアがあれば教えてくださ〜い」の想いが
すぐにぴとみさんに通じたようで、感激しています。
ありがとうございます!

今年の夏は早起きをして車で犬を散歩に連れていくお仕事が優先順位のトップなので(笑)
パン生地が「朝は焼くだけ」の状態になってくれているのがベストなのですが
父が帰ってきて時々散歩を代わってくれるようになれば
もっと色々な作戦や作業にも取り組めそうです。
ぴとみ さんのコメント…
もうひとつ奥の手。長時間の二次発酵でだれた生地を手早くまとめ直し、予熱しないオーブンで三次発酵させながら焼きあげる方法もあります。くずれた割れ目をクープの代わりにパンのデザインとして活かせば、自然な形状に仕上がるでしょう。
さらには、発酵かごを使う手もあります。これなら過発酵で噴火してもそうそう型から出ることはありません。ご参考まで。現状にとどまることなく、いろいろ実験してみてください。いい方法が見つかるはずです。
Miya さんの投稿…
ぴとみさん、いつも目から鱗が落ちるようなアドバイスをありがとうございます!!
今日は香川の地粉を入手できました。
これからますます楽しみです。

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気持ちの良い青空の季節になった。
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近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

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今回、このことを改めて強く感じた。

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シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
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先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。