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99歳の手



おばあちゃんの手。

入院した頃に比べて、手の肌がやわらかく白くなっている。


天命を立派に全うした99歳の手が、わたしに伝えてくれるもの。
たくさんありすぎて、言葉にならない。






99歳の手、60代の手、50代の手、30代の手。


(撮影者のわたしが提案した、やらせ写真ですが(笑)



こうやって見ると、自分の手はまだまだちっちゃいなぁ。



祖母の最期に寄り添う父と母と過ごす日々。

人は生まれてからある程度の大人になるまで親と一緒に過ごしてから
巣立っていくパターンが多いのかもしれないが
わたしはその反対に近いことをやっているおかげで
特に最近は色々なことを考えさせられ学ばせてもらっている。

子としての最後の使命をしっかりこなしている両親の様子を間近で観察し
日々感動させられ、自分はまだまだ2人の足元にも及ばないことを繰り返し実感している。
わたしは2人の子に生まれることができて本当によかったなと思う。

将来、同じ役割が自分に回ってきたときには
わたしは父や母と同じような落ち着きと穏やかな使命感を持って
行動できるだろうか。


父を育て、母が家族になりわたしたち兄弟が生まれ
今に至るまでをずっと見守ってくれた祖母に伝えるべき言葉は
握った手を通して伝えてきた。
おばあちゃんは耳がかなり遠く、今は眠っている時間が長いので。
大きな声を出すことが徹底的に苦手なわたしには丁度いいのです。









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旅立った人は、どんどん進んでいく。

気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
この世を旅立った人にとって、3年とはどんな感覚ですか?

あちらでは時間の感覚がだいぶ異なるのだと思う。
祖母は、私たちよりも10年とか20年くらいは先を行っているような気がした。
もっともっと先かもしれない。
こちらで「生きていた」ときの祖母とは、かなりの別人というか別人種というか、
言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
隣にいた父親が全く同じようなことを言ったので驚いた。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。