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内海八幡神社の秋祭り



父も母も実家の祖母も内海出身で、私は内海地区に縁の深い人間なのに
こちらの神社にお参りしたのも秋祭り見物も、何と今回が初めてだった。

記憶に残っていない幼少の頃には連れて来てもらったのかもしれないが。

これまでに見物したことのある伊喜末と池田の祭りでは
神さまの目の前で奉納する太鼓台が次々と上がってくるので
祭りの日の境内はとても賑やか。

それに比べて、こちらは静まり返っていて
お祭り、ほんまにこの神社だよね‥??と疑いの気持ちとともに
てくてくと登って行った。

内海の八幡さんでは大きな太鼓は参道を通過できず
境内まで登って奉納するのは馬木地区の小太鼓一台のみなんだって。






こちらの八幡神社では、どっしりと穏やかに広がるような印象の神さまを感じました。















狭い路地で太鼓を操っています。

池田の祭りのようにアクロバティックにひっくり返すダイナミックさはないけど
こちらはまた違うスキルが必要なのですな。

笛を吹き、カラフルなホウキのような棒を振り回し
全身でチームに指示を送る指揮者のおっちゃん達の動きや表情も
とても面白くて、楽しく見物させていただきました〜



お昼から用事があったので、西村、坂手、草壁の3地区の
太鼓台奉納を見物させてもらって、急ぎ足で引き上げた。

丁度帰り始めたころに雨が降り始めた。
昼頃には本気降りになり、みなさん大変だったでしょうね。
お疲れさまでした。

大きな一眼レフカメラをぶら下げていると
撮影スポットや見所など、色んな方が丁寧に教えてくださって
とても助かりました(笑)ありがとうございました。

大きなカメラを持ち歩くと、こんな風ないいこともあるんだよ。
小型カメラも便利だけど、やっぱり私は大きくて重たいのが好きだ。


相棒をお供に、また来年も見に行けるといいな。





















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