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久しぶりの通院。








先月の胃カメラから、一ヶ月ぶりの通院。

あの先生のいない病院になんて行きたくな〜い‥(涙)と
思いながらも私はポジティブに道を繋げ進んでいきたい人です。
後任の先生との初対面を楽しみに行ってきた。







今回は午前中に婦人科を受診した後
午後の内科の予約までだいぶ時間が空いたので
うどんを食べて、うろうろ散歩をした。





百舌坂。

登ると栗林トンネルがある。

最初の入院のとき、点滴が終わり体調は安定したが
ステロイドの投与量がまだ多くてすぐには退院できなかったころ
この辺りをよく散歩した。丁度2年前の今頃になるのか。

初めてのお散歩は一ヶ月以上ぶりの外出で
その間に7kg近くも少なくなってしまった身体には
吹く風も車の音も自転車も恐ろしく感じてしまった。

しかし、元々アクティブ派なので
何度か散歩の練習をしているうちに、この坂を登りきれるようになり
さらに見つけた山道を登り展望台みたいなところへ上がってみたりもした。


外出届けには「ちょっとその辺を散歩」と書いておき
実は坂道をがんがん登ったりしてたのさ〜


神社にもお参りしてきた。
2年前の入院時の、ドキドキの初外出の目的地がここだった。
石清尾八幡神宮。




綺麗に整備された階段のある境内は
田舎者にはやや座敷が高い印象も否定できないが
拝殿の前に立つと、いつも爽やかな風が吹いてきて
親しみやすい女性的な優しさの神さまの存在を感じる。

何度かお参りに通っているうちに
ここの神さまも、とても好きになりました。


神社のあと、まだだいぶ時間があったので
さらにウロウロ歩き、文房具屋に入ってみた。

そこで、探していたファイルやらクリップボードやらを見つけてしまい
いつも大抵の人に大荷物だね〜と言われる量の普段の荷物に加え、
大きな袋をもう一つ引き連れ、アホみたいな大荷物で受診をした患者は私です。





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絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

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先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。



霊能者、霊能力について

霊能力者は、自分の霊能力は自分のためではなく、人に奉仕するために
預けられたものであることを自覚しなければならない。
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純粋な愛(利他愛)の行為として人のため世の中のために活用することを期待され
授けられた神聖な力である。その神聖な能力を汚してはならない。

自身の霊能力に気付いた人間は、それを正しく使うことを心がけよ。
神から託された聖なる力である。
責任感を持ち、気持ちを引き締め、神の使者としての役割を
謙虚に、そして使命感を持ち誠実に使用すること。

自分の金儲けのためや、人から注目されたい、崇められたい、好かれたい等
私的、利己的な目的に用いることは許されない罪である。
現在地上には霊能力を不正に使用し、自身の欲に溺れている霊能者が非常に多い。
悲劇的な状況である。
肉体の死後、彼等が対面することになる償いと埋め合わせのことを思うと気の毒でならない。

霊能者は自分に与えられた霊能力を正しく、他人の利益のために用い
利他愛の行為に徹している限り神の法則に保護され
更なる人助けの可能性が与えられ、世界の人々の幸せに貢献できるようになる。

利他的に生きる者は、利他愛こそが真の愛、真の喜びであることを知っているので
自身の利他的な行為によって自らも幸せを体験するようになっているのだ。
霊能力を正しく人のために用いる霊能者が増えていくことを願う。