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驚異の生命力



99歳の祖母、持ち直しています。

先週の手術後、肺炎を起こして発熱し、痰も多くて度々の吸引が必要で
殆ど食べず、殆ど眠っていて、誰が見てももうあまり長くない状態で
みんなそのつもりで行動していたのに。

わたしも、また生理で寝込み昼過ぎまで38℃代の熱がでていた日の夕方に
頑張って病院へ行き、前回のあの手の写真を撮ったんだよ。


肺炎の治療が効いたみたいでおばあちゃん
今では時々自分の手で器を持って食べている。

腕や手に点滴の針や酸素モニターつけていると
すぐにに自分で外したり引き抜いたりするので足に取り付けられたそれらを
何とかして外したくて、大腿骨骨折の手術を受けた右足を
必死で曲げたり動かしたりしている。
側にいると10回でも20回でも30回でも
「あれを取っておくれ」と訴えてくる。

膝も足首も足指も、力強く動かしまくっているし
リハビリ技師のお兄さんにやってもらっているよりも
かなり超越した範囲の自主リハビリを勝手に行っているんですけど‥

脚のサポート用の枕を、自分で何度でも勝手に外しては

『いらんからそっちに置いといて』と渡してくるし。





これは、父と祖母の筆談の跡。

しっかり文字も書きよるし‥


99歳にて、もういつ逝ってもおかしくない状態からここまで元気に回復するとは‥!
ただただ驚いている。







一時は恐らく魂が身体から放れかけていたのか
家の中でよくおばあちゃんの気配を感じられたり、誰もいないところで音がしたり
父の夢にもよく登場していたそうだが、最近では一切そのような現象がなくなった。
魂が再びしっかり身体に戻ったらしい。

祖母は、とにかく心肺機能が強靭なのでしょう。


わたしはこのところ、おばあちゃんが夕食を終えた頃くらいに病院へ行き
しばらく2人の時間を過ごしている。


普通に話しかけてもあまり通じないし聞こえないことが多いので
おばあちゃんは、魂のレベルで語りかけたり働きかけたり
するための練習をさせてくれているのだと思っている。


小学校の先生だった祖母は、小さい頃よく勉強を見てくれた。
九九もおばあちゃんに教わったんだよ。

やっぱり最後まで先生なのだ。

いつも伝えているつもりだけど、ありがとう。






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旅立った人は、どんどん進んでいく。

気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
この世を旅立った人にとって、3年とはどんな感覚ですか?

あちらでは時間の感覚がだいぶ異なるのだと思う。
祖母は、私たちよりも10年とか20年くらいは先を行っているような気がした。
もっともっと先かもしれない。
こちらで「生きていた」ときの祖母とは、かなりの別人というか別人種というか、
言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
隣にいた父親が全く同じようなことを言ったので驚いた。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。