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祖母のための3ページ



大切な祖母のために短い文章を3つ、書きました。
どうか、朗読はあまり得意ではない私に代わって読んでください。
よろしくお願いします。

2013年11月5日









① 20年の時を経て、別れと再会。


昨日は、おばあちゃんのお通夜でした。

綺麗に飾り付けが施された自宅の和室の前に立つと
約20年前に、同じ部屋でおじいちゃんの葬儀が行われた日のことを思い出しました。

あの日おばあちゃんは、部屋の隅の方に座り 肩を縮こませ
首をうな垂れ、数珠を持った手を強く握り合わせて
そして目を強く閉じたまま 呟くように祈り続けていました。

当時の私は、死は永遠のお別れだと信じていたため
お葬式は悲しくて仕方の無いイベントでした。

おばあちゃんのそんな姿を見た私は、伴侶との死別とは
これほどにも辛いことなのだなと、子供ながらに深く考えました。


あれから20年と少しの年月が過ぎて、今日はおばあちゃんのお葬式です。
おばあちゃんは今日、何を思い何を感じていますか?

20年の時を経て、おじいちゃんと再会できましたね。
20年前のあの日のことを思い出して、2人で一緒に微笑んでいますか?

この20年間は、おばあちゃんにとってどんな20年だったのでしょうか。
長かったですか?
それとも、今振り返ればあっという間でしたか?















② 久子さんへ。



あなたは、私があなたの初孫としてこの世に生まれたときからずっと
私のことを愛し、遠く離れた場所で暮らしていた時も
私の健康と幸せを祈ってくれていましたね。

あなたが認知症を患ってからは、私自身も病気をしたり
もしあなたの心身の状態が若い頃のままだったならば、きっと
大変な心配をかけてしまったであろう出来事ばかりの年月もありました。

ですから、あなたの人生の最後の最後には少しだけれども
あなたに寄り添うことができて、お葬式も見届けられることは
本当にとても大きな喜びです。

大きな海の向こう岸や日本の反対側に当る地に住んでいたこともあり
私はこれまでに旅立った祖父や祖母たちの最期に寄り添うことができませんでした。

あなたは、私が今までできなかったことを叶えてくれました。
かけがえの無い貴重な体験を与えてくれました。
心から感謝しています。


あなたとの思い出は、沢山ありすぎて
今日ここに書きたいことや伝えたいことも、
ありがとうを言いたい事柄も山積みです。
思い出せる全てを書こうと思えば
お葬式に到底間に合いそうにないので、
今日はこれくらいにしておきますね。


99年と7ヶ月。
数え年で言えば100歳。


一世紀の人生をわたしたちに見せてくれて、ありがとう。
一世紀の人生を本当にお疲れさまでした。

そして、長い一生からの卒業おめでとうございます。
感謝と祝福の気持ちでいっぱいです。












③ 2013年 11月3日、軽い雨の午後。



2013年、11月3日。

軽い雨の降る午後、私はひとりで車を運転して
あなたに会いに行きました。

あなたの瞳から焦点が失われつつあり、瞳は開いていたけれども
あなたが見ていたのはこの世界の景色ではないことを感じました。


それでもあなたは、私の顔の方を向いて2度ほど微笑んでくれました。
私の手を握ってくれました。



「ありがとうおばあちゃん」

あなたにそう伝えてから、手を握ったまま心の中で静かに祈りました。


「どうか安らかに穏やかに逝けますように」











祈りを聴いてくださったみなさん。


ありがとうございました。





















コメント

toshi kondo さんの投稿…
おばあちゃんご苦労様でした、天国でおじいちゃんには会えましたか?
ゆっくりと20年の時間を埋めてください。
それから見つけ易いように、みやちゃんが夜空を見上げたら明るく輝いてあげてください
匿名 さんのコメント…
合掌。
お祖母様、長い間 本当にお疲れ様でした。近い内に、お話しに伺わせて頂きます。では、お祖父様と積もる話でもしながら、ゆっくり休んで下さいませ。
Miya さんの投稿…
toshiさん、匿名のお兄さま
優しい優しいメッセージをありがとうございます。
祖母も喜んでいます!!

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