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手放すこと

今日で二月が終わる。
明日から三月が始まる。

とても美しいが寒そうな雪景色の2月のカレンダーは
今日の昼間にめくってしまい、
一足先にチューリップ畑の3月をつれてきた。


今日は、手放すことについて考えた日だった。

『手放す』ということについて、どう考えますか?

手放すことは得意ですか?それとも苦手?

大切に思っている何かや誰かを手放すことは、勇気がいることだが
それほど難しいことではない。


何かの手放し方:
きつく握りしめた手のひらを開いて 、握りしめていたものを放して、手を振る。

添える言葉は、ありがとうかもしれないし
行ってらっしゃいかもしれないし
もしくは、行ってきますかもしれない。

相応しい言葉を決めるのはあなたしかいないのだから
ぜひ、あなたの勇気ある選択を好きな言葉で飾ってみて。


手放すことが難しいとか辛い苦しいとか感じてしまうときは
あなたがその対象にぎゅうぎゅうにしがみついているから
それしか見えなくなっているのだ。


手放す選択は、手放さない選択よりも
大きくて素晴らしい広がりや新しい可能性をもたらすのだった。
今日はひとりで考えごとをしながら文章を書いていたら、
そんな結論にたどり着いた日だった。

迷って悩んでいたことがひとつ片付いた。
とても楽になったよ、うれしいな。





letting go...it's a good thing!






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気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
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全くない。
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今回、このことを改めて強く感じた。

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「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
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先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。