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相棒と愛犬と

ブログを見て安否確認をしてくださっている方々、心配してメールをくださった方々。
ご心配をおかけして申し訳ない。
わたしは、ぼちぼちやっています。
先週の終わり頃から良い感じの体調になり、週末にはちょっとだけバイクにも乗れた。
他は、無理の無い程度にできそうな気力があるときに甘夏の加工品作りやガーデニング、畑作業などもコツコツとやっている。先週末には、畑にレモンの苗木を植えた。ジャムを作るのに使うレモンも、自宅の畑で育ったものを使えるようになりたいから。
ブログも同じく、無理の無い程度にできそうな気力と時間と精神力があるときに書くことにしているだけで、特に体調が悪いから書けないでいる訳ではありません。時間と精神力を大食いするブログから自分自身を守るため、今はわざと距離を置いているのかもしれません。気長に静観していただければ嬉しいです。気にかけてくれてありがとうございます。

最近自分の軸にある言葉。
自分が病気を持つ身である以上、全く何も心配のない日々は有り得ないし
もし心配を要する状況に出会ったとしても、苦境にやられてくたばる自分も有り得ない。
我ながらいい感じに可愛げの無い頑固者だね。







またこんなに短い投稿にこんなに時間がかかってしまって、あー嫌だ嫌だ、最悪だ。
ブログなんてもう二度と書きたくない!!私の午後を返してくれ。

実はほぼ毎回こんなことを呟きながら投稿を仕上げています(笑)
でもしばらく経つとまた書きたくなる。
ブログ馬鹿っていうやつだな、きっと。


さて、これから甘夏の香りを嗅いで充電しよ♪



みなさん良いGWを。





このブログの人気の投稿

旅立った人は、どんどん進んでいく。

気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
この世を旅立った人にとって、3年とはどんな感覚ですか?

あちらでは時間の感覚がだいぶ異なるのだと思う。
祖母は、私たちよりも10年とか20年くらいは先を行っているような気がした。
もっともっと先かもしれない。
こちらで「生きていた」ときの祖母とは、かなりの別人というか別人種というか、
言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
隣にいた父親が全く同じようなことを言ったので驚いた。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。