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ポートレイト

家に帰ると、居間のテーブルの上に古そうな写真が無造作に置かれているのを見つけた。
10枚程度だろうか。

学ランを着た父のモノクロ写真、同じ学ラン男子達との集合写真。
祖母と誰か知らないおばさまの写真。
知らないお姉さんが、五月人形の前で男の子を抱きしめ幸せそうに笑っている写真。
和服姿の若い父と母。その写真の中の母が着ている着物を私も
一度だけ着せてもらった事があるのを思い出した。

そして一枚のポートレイトに目が止まり、くぎ付けになった。


初々しい表情の若い女性が石垣に腰掛けてポーズを取り、微笑んでいる。
一目見て私はこの可愛らしい女性のことが好きになった。

何て優しそうで可愛い娘なんだろう。
この子は誰だろう‥?

父に聞いてみても、分からない知らないと言った。

誰だか分からないのかぁ。。

思いながら写真を裏返してみると、黒いインクの文字が並んでいた。

書かれていたのは生年月日と、旧姓の母のフルネームだった。

「え?おかあさん?!これお母さんだ。」



きっとこの写真は、母の生家の側で祖父が撮った写真なのだろう。
母方の祖父は、写真やビデオ撮影に大変熱心で、家に暗室も構えていた。
幼少の頃私はおじいちゃんの暗室に出入りして遊んだりしていたのだった。

恐らく年齢は20歳くらい、東京で音大に通っていた頃のものと思われるの母の写真を
手のひらの上で眺め、当時の彼女が胸に抱いていたかもしれない想いや夢、希望などを
勝手に想像してみた。

かわいいな、おかあさん。。



写真の中の彼女に私は話しかけた。

「わたしのお母さんになってくれてありがとう。」

自然に出て来た言葉を呟いたとたんに涙がぼろぼろと流れ出た。

おかあさん。


しばらくすると、「ただいまー」の明るい声がして、母が帰ってきた。

私は慌てて涙を拭いて、「おかえり!」と言った。














(若き日の母の写真を見て、誰なのか知らないと言った親父へのつっこみは
またいつかの機会に/笑)

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旅立った人は、どんどん進んでいく。

気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
この世を旅立った人にとって、3年とはどんな感覚ですか?

あちらでは時間の感覚がだいぶ異なるのだと思う。
祖母は、私たちよりも10年とか20年くらいは先を行っているような気がした。
もっともっと先かもしれない。
こちらで「生きていた」ときの祖母とは、かなりの別人というか別人種というか、
言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
隣にいた父親が全く同じようなことを言ったので驚いた。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。