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ヒマワリのタネをまいたら

朝のゴミ出し散歩から帰ると、ヒマワリ畑にネコが寝そべっていた。
花が終わった後のヒマワリの種を目当てに
飛んで来る小鳥たちを観察しているようだった。

そういえば、7月の終わり頃 花盛りだったヒマワリの花に
小さなミツバチを捕まえた小さなカマキリを見つけたことがあった。
その時も早朝のウォーキング帰りだった。

ミツバチは、嫌だ嫌だと必死にもがいていて
カマキリは、獲物を死守していた。

「その子はまだ生きたいって言ってるよ」
私はカマキリに声をかけてみた。

するとカマキリは言った。
「ぼくだって、食べないと生きられない」

そうだよね、やっぱり。

「じゃあ、ありがたくその子を食べて、その子の分まで生きるんだよ。」
偉そうに、私は言ったのだった。カマキリに。

誰かが生きるために
誰かの命が使われていく世界に
わたしたちは生きている。 

こんな世界で命をもらって生きている側でいられることは
とても尊くありがたく、奇跡的なことなんだね。
誰かの命のために自分の命を譲る存在たちに
わたしたちは生かされているのだ。
愛おしき命。

ヒマワリの花で出会った命のドラマについて
手帳に書いておいた。


季節は進み 
ヒマワリたちは皆、頭を垂れ
賑やかだった蝉の声も聞こえなくなった。

秋のヒマワリ畑は静けさに包まれていて
時折やってくる小鳥の羽音や控えめな鳴き声がよく響く。

畑の溝に入り込んだ白とグレーのネコが
緑色の瞳を輝かせて小鳥の動きに集中している。

私は少し離れた場所にしゃがんで
白xグレーのハンターに話しかけた。

畑に寝そべって小鳥たちを見てるんやね。
なかなか素敵な朝の過ごし方だね。
犬に見つからんようにしいよ。

ネコは、ご機嫌そうな眼差しでこちらをチラ見してから
瞳を閉じてしっぽを小さく上下した。



ヒマワリのタネをまいてみてよかったな。
来年もまた、ヒマワリのタネをまこう。


畑にまいたヒマワリのタネが
色んな命が行き交う場所をもたらしてくれた。

今年のヒマワリの花は枯れた。
来年また新しい花を咲かせるための種を残して枯れた。








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旅立った人は、どんどん進んでいく。

気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
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もっともっと先かもしれない。
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言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
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絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。