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食による癒しと、夢のあれこれ




ひょうたん南京のパン、大丈夫だった。
ちゃんと美味しかった。
第一印象は、素朴すぎるくらいに素朴なんだけど
かみしめていると、ここにしかないような独特な味わいがでてきて
しばらくすると、ほのかなひょうたん南京の香りが追いついてきた。
そうだそうだ、こんな感じなんだよ、私が作りたいパンは!
と、独り言を言う。
そのままでもいけるけど、小豆島のオリーブオイルをつけると
うんと美味しい。
かなり薄めにスライスしてトーストして、オリーブオイルを添えると
晩酌のあてにも良いらしいです。

以前は、たまにね、何もつけずトーストもせず
そのまま食べるのが一番美味しい!というパンを作れていたことがある。
またそんなパンにも会いたいなー。
ちょくちょく会えるようになるまで、作り続けよ〜
新しい酵母が来てくれたので、新しい発酵種を仕込みました。
パンの赤ちゃんみたいな感じです。
元気に育ってくれますように。











今日は、珍しくサラダも作った。
水菜を刻んでドレッシングで和えるだけのつもりが、
気付けばこんな山盛りサラダが出来上がってしまった。
サラダ菜、大根、りんご、キウイに、下茹でして冷凍してあった貝豆、ツナ缶。
ドレッシングは、
自家製甘夏酢と塩レモンエキス、
リンゴ酢、小豆島のオリーブオイル、ブラックペッパー。
美味しくないわけないね。






今日は、食のインスピレーションの日でした。
やるべきことは、他にも沢山あるんだけど
次から次へとアイデアが沸いてきて、
こんなものも作った。





キャロットケーキ。
しっかりした大きさの人参一本分をすり下ろして入れてある。
他には、母が作ってくれた焼き芋、押し麦、甘酒、オリーブオイルも。
砂糖は使っていない。
優しい自然な味わいのおやつです。






自分のこの手で、誰かを癒せるようになりたい。
人の癒しを担う存在になりたい。

2011年の秋、病室のベッドの中で芽生えた想いが
色々模索状態ながらも今年、ついに形になって動き始めた。

夢がひとつ実現されて気付いたことは、
夢は導きであり、スタート地点でもあるということ。
夢が叶った喜びに浸りバンザイするのではなく
夢が叶ったことで見えるようになった今後の目標に
意識がフォーカスされた自分がいる。

そうか。夢は、私たちを前へ、上へ、次へと進めていくためのしくみなのだ。
叶うとか叶えるとか、あきらめるとか叶わないとか、そういうものではなくて、
夢はツールなのだ。
自分の人生を、自分が想い願うように生きるための道具なのだ。
夢の色々な使い方や楽しみ方を、もっともっと探してみようじゃないか。
そしていつか、自分の旅で出会えた夢のあれこれを
人に伝えていこうと思う。


あ、食べ物の写真から、夢トークへ脱線した理由ね。
物理的、精神的な癒しも、まだまだこれからだけど
食による癒しも考えていきたいと思い始めました。
夢がひとつ叶ったことによって、見えてきた次の夢や目標のひとつです。
夢はいつも、私たちの味方なんだよね。
夢を持てる喜びは、生きる喜びでもある。

繋がってくれている全ての人たちに、全ての出来事に
いっぱいの愛と感謝の気持ちを放ちます。
届きますように。




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旅立った人は、どんどん進んでいく。

気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
この世を旅立った人にとって、3年とはどんな感覚ですか?

あちらでは時間の感覚がだいぶ異なるのだと思う。
祖母は、私たちよりも10年とか20年くらいは先を行っているような気がした。
もっともっと先かもしれない。
こちらで「生きていた」ときの祖母とは、かなりの別人というか別人種というか、
言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
隣にいた父親が全く同じようなことを言ったので驚いた。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。