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忘れてた。



忘れてた!
私、滝が好きだったんだ。
流れ落ちる水の音も
流れ落ちる水が造り出す神さまのような姿も
その周りに現れる、見えたり見えなかったりする虹も
大好きだったんだ。

初めての場所なのに
里帰りしたような気分だった。
ああ幸せ。。





先月、京都で開催された公開ヒーリングに参加させていただいた後
友人と一緒に有馬温泉へ。
有馬はとても高級なイメージで、自分にはあまり関係のない場所だと思っていたのだが
行ってみると、そこに居るだけで気持ちが引き締まるような清々しい土地で
空気も美味しくて、とても心地よかった。

そして、最初入るのを躊躇してしまうような
茶色く濁っていて、鉄の匂いがする不思議な湯!
でも入ってみると、
深いところから湧き出る地球のエネルギーに包まれるような
大地のパワースポットにどっぷりと浸っているような
不思議な感覚。
冒険的な胸騒ぎと、未知の感覚を面白がるワクワク感と
心も身体もまるごと癒されていく感覚と
全てが同時進行で発生し‥
湯上がりの自分はとてもいい顔でした。





日本スピリチュアルヒーラーグループの皆様主催の公開ヒーリングでは、
今まで体験したことのない尊さや素晴らしさに触ることができて
溢れる感謝の気持ちが今もずっと続いている。

しかし感想を述べようと思っても、感激とか感謝とか
感動の表現以外の言葉が全然出てこなくて困っていたのだが
一ヶ月が過ぎようとしている今ようやく
あの日のヒーリングが私個人にもたらしてくれたものを理解、実感つつある。
それは肉体面よりも、主に精神的なヒーリングだった。
潜在意識の中にあった蟠りが何かあると表面化し
自分で自分を苦しめる状況を作ってしまう、というのを
私は長年繰り返し続けてきたが、その大元になっていた蟠りが解け出し
愛に変わっていくのを感じている。



ハートの重荷が軽くなり、これから益々
愛、そして様々な体験から学んだ知識や喜びを
人のために役立てられるよう努めていきたい。


全ての導き、全ての出会い、愛に
深く感謝しています。




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旅立った人は、どんどん進んでいく。

気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
この世を旅立った人にとって、3年とはどんな感覚ですか?

あちらでは時間の感覚がだいぶ異なるのだと思う。
祖母は、私たちよりも10年とか20年くらいは先を行っているような気がした。
もっともっと先かもしれない。
こちらで「生きていた」ときの祖母とは、かなりの別人というか別人種というか、
言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
隣にいた父親が全く同じようなことを言ったので驚いた。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。