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夏至の朝








誰かのために生きる人であれ。
それが近道である。
困難多き道を生き、優しさと愛を鍛え磨き
自分以外のために生かすこと。
それが、あなたができる世への貢献である。
苦労無き道は、学びも成長も無い道である。
あなたは自分で選んだ生き方について心得ているはずだ。
あなたは楽な生き方を生きるために生まれてきたのではない。
それはあなた自らの選択である。
このことを忘れてはならない。
今回が最後の地上生活でありたいと願っているのなら尚更、
試練を喜んで受けること。
我欲を無くし、真実の愛の通路を志せ。
神の道具となれ。
そのために努力を続けるのであれば、
あなたは何一つ案ずることはない。
わたしたちがあなたを守る。
安心しなさい。










自分で選んだ道のりが辛くなり嫌になり
逃げ出したくなるときもある。
今月はそんな時期を通過した。


しかし私も、祈りという手段を通して
援助や導きを求めたり受け取ることができるようになり
大丈夫になってきているのだ。


夏至の前日の夜、瞑想の部屋で静かに涙を流していると
守護霊というイメージと共にいくつかの言葉が浮かんできて
続いてメッセージを受け取った。
自分を導いてくれている存在からの力強い愛の伝言は
心の滞りを一喝して吹き飛ばしてくれ
私は再び自分の覚悟を新たにしたのだった。











夏至はエネルギーのターニングポイントだという。
夜に強く降った雨が上がり、まぶしい青空の夏至の朝が訪れた。



みなさんはどんな6月を過ごしましたか?



溢れんばかりの愛が
あなたと共に有りますように。






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旅立った人は、どんどん進んでいく。

気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
この世を旅立った人にとって、3年とはどんな感覚ですか?

あちらでは時間の感覚がだいぶ異なるのだと思う。
祖母は、私たちよりも10年とか20年くらいは先を行っているような気がした。
もっともっと先かもしれない。
こちらで「生きていた」ときの祖母とは、かなりの別人というか別人種というか、
言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
隣にいた父親が全く同じようなことを言ったので驚いた。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。