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山の癒し




たぶん一ヶ月以上ぶりのバイク。
寒霞渓通りから山を登り、銚子渓へ下った。
そんな時間帯だったのか山の道、
内海ダムからホテルオリビアンの手前まで
一台の車にも二輪車にも出会わず。
猿には大勢出会った。


久しぶりの山にとても癒された。
山の道では太陽の光りが
木々を通して、様々な美しさを魅せてくれる。
海は浄化で山は癒し。
良く言われますね。
少し動けば、どちらにもすぐに手が届く小豆島、すごいぞ。

ヒグラシが大合唱していた。
ヘルメットをかぶりバイクを走らせていてもしっかり聞こえてくるほど。

夏山のヒーリングサウンドだ。。

山の癒し音

自分以外にも、この音に癒される人がいるかもしれないと思い
動画を撮りました。
パソコンへのアップロードが難しかったので、
ツイッターに投稿してそのリンクをつけてみました。
再生できると良いのですが、もしできなかったら
心の声で聴いてみて‥


みなさんどうか良い日を。












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絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

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霊能者、霊能力について

霊能力者は、自分の霊能力は自分のためではなく、人に奉仕するために
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謙虚に、そして使命感を持ち誠実に使用すること。

自分の金儲けのためや、人から注目されたい、崇められたい、好かれたい等
私的、利己的な目的に用いることは許されない罪である。
現在地上には霊能力を不正に使用し、自身の欲に溺れている霊能者が非常に多い。
悲劇的な状況である。
肉体の死後、彼等が対面することになる償いと埋め合わせのことを思うと気の毒でならない。

霊能者は自分に与えられた霊能力を正しく、他人の利益のために用い
利他愛の行為に徹している限り神の法則に保護され
更なる人助けの可能性が与えられ、世界の人々の幸せに貢献できるようになる。

利他的に生きる者は、利他愛こそが真の愛、真の喜びであることを知っているので
自身の利他的な行為によって自らも幸せを体験するようになっているのだ。
霊能力を正しく人のために用いる霊能者が増えていくことを願う。