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UCとの五年


先日、特定医療費受給者の更新手続きをしてきた。
潰瘍性大腸炎を発症したのは2011年の夏だったので、もう5年の付き合いになる。
入院中、20年以上になる患者さんにも何人か出会ったし、長く付き合っていくタイプの病気ということなので、5年という期間は短いのだろうけど、この5年間で自分は大きく変わった。

診断された時には大腸全体に炎症が広がっていて、最初の3年間は入退院を繰り返した。2年前に寛解にたどり着いてからはありがたいことに体調は安定している。病室で芽生えた「自分のこの手を用いて人の心と身体の癒しを‥」との思いに基づいた仕事も少しずつできるようになってきた。

「良い状態を維持できるように何か心がけていることはありますか?」
書類をチェックしてくれた保健福祉課の女性スタッフに聞かれた。

原因も不明とされ、治癒に導く治療法も今のところ存在しないような病気である。
医療の力も不可欠だが、それだけでは解決できないし管理しきれない。だいぶ早い段階でそのように感じながらも私は医療の力を借り、また、安心して療養させてもらえる環境に恵まれたおかげで、寛解を得ることができた。
その寛解を維持していくための鍵は、精神的な領域にあると思っているのだというようなことを、説明した。


自分はなぜこの病気になったのか。
その答えに気付いたこと。
そして、その答えに100%納得したこと。
それをしっかりと受け入れたことだと思う。



私は、時に「目に見えない光」などと表現しているような
非物質的な意識との繋がりをとても大切にしていて
日常的に彼らに祈ったり、彼らからの愛に満ちた導きを感じながら
私は生きている。



彼らは自分を病気から救うために
動いてくれたのではない。

病気の苦しみや制限から解放され
病気を通して目覚めた新しい自分が
苦しむ人の力となれるよう
希望の炎を失いかけている人がいれば
その炎を守る手伝いをする人物になれるよう
導くために、神は自分に病気を体験させたのだと思っている。







日本スピリチュアル・ヒーラーグループの公式サイトに
ヒーラーの方々が書かれたコラム(ヒーラーの声)が掲載されてあり
その中に「病気は人間を成長させることもある」というタイトルの記事がありましたが
自分のケースもまさにその通りだと感じています。


全ての導き、全ての援助に感謝しています。




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旅立った人は、どんどん進んでいく。

気持ちの良い青空の季節になった。
朝晩は寒くなり、そして家の中の寒さ対策、そろそろどうにかせねば‥

近づく紅葉が楽しみです。






先日の夜、実家の両親と
祖母のささやかなメモリアルを行った。

祖母が旅立って3年が経った。
実感的には、5年とか7年くらい経ったような気がする。
祖母にたずねてみた。
この世を旅立った人にとって、3年とはどんな感覚ですか?

あちらでは時間の感覚がだいぶ異なるのだと思う。
祖母は、私たちよりも10年とか20年くらいは先を行っているような気がした。
もっともっと先かもしれない。
こちらで「生きていた」ときの祖母とは、かなりの別人というか別人種というか、
言葉では上手く説明できないが意識の部類、種類が別物なのだ。
でも、愛で繋がっているから祖母だとすぐに分かる。

「死んだ」人は、死んだときのまま時が止まってしまうのではない。
全くない。
旅立った人は、どんどん進んでいく。

今回、このことを改めて強く感じた。

私は声に出して話したわけではないのに
隣にいた父親が全く同じようなことを言ったので驚いた。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

その言葉を聞き、はっとした。


たぶん父親は、同じような言葉を自分に言い残して 霊界へと旅立つのだろう。
そして、人がこの世を旅立つということは
本来はこんな感じなのだろうなと思った。
仕事や家事など様々な雑務、日常のしがらみから解放され
楽しい旅に出かけるのだ。
愛する人がそのような解放と喜びを体験しようとしているのだ。
見送る我々には悲しむ必要など無いはずである。
喜んで見送り、感謝と愛を込めて送り出す以外に何が要るのか?








先日の朝、私は(近頃の自分にしては)がんばってとても早起きをし実家へ帰り 父を港まで送って行った。 その足でチョコを散歩に連れて行き 桜道を歩きながら色々と思いを馳せたのだった。