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種まき一ヶ月後

10月1日に種蒔いた畑、11月1日の姿。




ありがたいことに、元気に育ってくれている!

もう料理に使えそう。
けど、ネギとパセリとセロリ以外、まだ一度も使っていません。

なぜなら、実家の畑から大量にもらうので‥
これでもか!というくらいに大根葉、かぶ、小松菜、ほうれん草な、嬉しい日々。
今朝はほうれん草ぎっしりのオムレツに
今夜はかぶ沢山のミネストローネ、みたいな。



野菜を育てることは
土を耕し畑をつくることから始まり
適切な時期に収穫し、調理し美味しくいただき
それが食べた人の栄養となり力となるまで、
繋がっている。

それぞれのプロセスに労力も時間も沢山要するので
自分で作るよりも、綺麗にパッケージされたものを買ってきた方が
何倍も楽である。しかし、育てる手間や苦労を知っているからこそ
丁寧に使いたいし、最後まで美味しく感謝して頂きたいとの思いが
自然にわき上がってくる。
そんな自分でありたいと思う。



これは10月中旬ごろ。








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絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

人がこの世を旅立つということ

「ほな行ってくるわ。後のことは頼んだで。」

雨の翌日の朝、父はそう言って船に乗り出かけて行った。

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霊能者、霊能力について

霊能力者は、自分の霊能力は自分のためではなく、人に奉仕するために
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自分の金儲けのためや、人から注目されたい、崇められたい、好かれたい等
私的、利己的な目的に用いることは許されない罪である。
現在地上には霊能力を不正に使用し、自身の欲に溺れている霊能者が非常に多い。
悲劇的な状況である。
肉体の死後、彼等が対面することになる償いと埋め合わせのことを思うと気の毒でならない。

霊能者は自分に与えられた霊能力を正しく、他人の利益のために用い
利他愛の行為に徹している限り神の法則に保護され
更なる人助けの可能性が与えられ、世界の人々の幸せに貢献できるようになる。

利他的に生きる者は、利他愛こそが真の愛、真の喜びであることを知っているので
自身の利他的な行為によって自らも幸せを体験するようになっているのだ。
霊能力を正しく人のために用いる霊能者が増えていくことを願う。