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死を恐れなさんな

死を恐れなさんな

死を恐れる者
死んだら全てが終わりだと考えている者が
まだまだ多すぎる

死は終わりではない
恐れるものではない
死は解放である

肉体が全てだと考えていれば
肉体の死が全ての終わりだと信じてしまうのは当然のことだが
我々の肉体は、我々の仮の姿でしかなく
我々の本質、本当の自分は霊体(魂)であり
魂は永遠に続く
我々は永久不滅の存在である

肉体から解放された喜び
軽快感を
あなたの肉体が終わるとき
あなたも体験するのです
そして、肉体をまとわない霊として
あなたの道を生き続けるのです

知らないことからくる恐れや不安を
人々の恐れや不安を少しずつ減らしていけるよう
あなたは務めていきなさい







スマホに保存したはずの文章を探していたら
書くものを持っていなかったときに感得したのだろうか
スマホのアプリに打ち込んであるメッセージを見つけた。

使ってはいるが、私は実はスマホも携帯電話もあんまり好きではなく
小さい画面に文章を打ち込むのも全然得意でないし
やっているとすぐに目が疲れるし肩が凝るし
とにかく好きではないのだが、がんばって打ち込んだのだと思う。

日付は10月後半。
読み返して先ず思ったのは、現在の自分だったら
同じ内容のメッセージでも
もう少し違った言葉を使い表現しているだろうなということ。

霊的なインスピレーションやメッセージなどは
受け取る側の知識や理解力の度合い、受け入れる姿勢や人間性(霊性)などによって
違ってくる。

この道に目覚め始めた頃(入院中)に書いた日記にも
人の死について考え、「死」というものの本質について
正しい知識や認識が広まれば
死んだ人を見送る苦しみも軽減されるはずだ
そのために自分には何ができるだろうか
というような内容が書かれていた。
人が生まれ、人が死んでいく場所でもある「病院」というところに
しばらく滞在し、色々なことを感じ、考えたのだった。

当時の日記の言葉も当然ながら
当時の自分の理解力や感性の範囲内での言葉で書かれていて
読み返すと、恥ずかしく思うところも多い。


以前、旅立った人(死んだ人)はどんどん進んでいく
という文章を掲載させていただいた。
霊界人と比較するに至らないスピードではあるが
本当に少しずつではあるが、自分も進めているのだなと思い
嬉しく思った。




冬至ですね。
みなさん暖かい夜を過ごされますように。


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霊能力を正しく人のために用いる霊能者が増えていくことを願う。